文責:松本 貴志
雇入れ時の健康診断に関して企業が悩むこと
事業主は、従業員を雇入れる際や雇入れた後も定期的に健康診断を実施する義務があり、雇入れ時には、以下の項目について健康診断を実施しなければなりません(労働安全衛生規則43条)。
企業にとって、従業員の雇入れ時の健康診断を実施することは、従業員の健康状態を把握して適切に配置し、必要に応じて適切な就労上の配慮をすること、ひいては貴重な労働力の喪失を防ぐためにとても重要です。
一方で、雇入れ時の健康診断に関して、当事務所にも以下のようなご相談が寄せられます。
・パートタイマーやアルバイト社員にも雇入れ時の健康診断を実施しなければならないか。
・雇入れ時の健康診断の受診を拒否する従業員に対しては、どう対応したらよいのか。
・採用選考の際に健康診断を実施し、その結果を理由に採用を拒否することは可能か。
・雇入れ時の健康診断の費用を労働者に負担させることはできるのか。
本記事では、雇入れ時の健康診断に関する上記のような企業の疑問点について解説していきます。
健康診断の種類・罰則、及び労基署の調査について
健康診断の種類としては、一般的な労働者に対する①定期的な一般健康診断(労働安全衛生法66条1項)と、一定の有害業務に従事する労働者に対する②医師による特殊健康診断(同条2項)ないし③歯科医師による歯科検診(同条3項)があります。
①定期的な一般健康診断としては、雇入れ時の健康診断(労働安全衛生規則43条)のほか、原則として年1回行わなければならない定期健康診断(同規則44条)があります。ただし、深夜業や坑内業務等の特定業務従事者については、年2回の健康診断を行わなければなりません(同規則45条)。
また、②特殊健康診断や③歯科検診が義務付けられる有害業務とは、高圧市内業務、放射線業務、石綿業務、鉛業務など健康に影響を与える可能性のある業務です(労働安全衛生法施行令22条1項)。これらの業務に従事する者については、それぞれの業務の有害性を考慮した特殊な項目について、定期的に健康診断を実施しなければなりません。
事業主は、①~③の健康診断を実施しなければ、50万円以下の罰金に処される可能性があります(労働安全衛生法120条1項)。
また、例えば病気による労災事故が発生した場合には、労基署が調査をすることになりますが、その際に企業が当該被災者について健康診断を実施していなかったことが判明した場合には、送検の可能性が高まる要素となりますので、注意が必要です。
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雇入れ時の健康診断の対象者について
企業は、正社員だけでなく、パートタイマーやアルバイト社員を雇入れる際にも、健康診断を実施しなければならないのでしょうか。
法律上は、事業主は、雇入れ時の健康診断を「常時使用する労働者」に実施しなければならないとされています(労働安全衛生規則43条)。
そして、通達(平成19年10月1日基発第1001016号)において、一般健康診断を実施すべき「常時使用する労働者」には、契約期間が1年以上であり、かつ、1週間の労働時間数が正社員の1週間の所定労働時間数の4分の3以上である短時間労働者も含まれるとされています。
したがって、かかる要件を満たすパートタイマ―やアルバイト社員についても、雇入れ時の健康診断の対象になりますので、注意が必要です。
雇入れ時の健康診断を拒否する者への対応について
従業員の中には、「プライバシーの侵害である」や「多忙である」などの理由をつけて、雇入れ時の健康診断を拒否する者もいるかもしれません。
しかし、法律上、労働者にも雇入れ時の健康診断を受診する義務が課せられています(労働安全衛生法66条5項)。ただし、事業主とは異なり、これに違反した場合の罰則については定められていません。
とはいえ、企業は、雇入れ時の健康診断を拒否する従業員がいる場合には、上記の受診義務を根拠に受診を要請し、それでもなお受診を拒否する者に対しては、懲戒処分を科すこともありうるでしょう。
他方で、労働者には、医師を選択する自由が保障されており、事業主の指定した医師が行う健康診断を希望しない場合には、労働者自身が選択した医師の健康診断を受診し、その結果を証明する書面を使用者に提出することで、受診義務を果たすことができます(同条同項但書)。
また、従業員が雇入れ時の健康診断を躊躇する理由の一つとして、健康診断の費用を負担したくないということも考えられますが、労働安全衛生法上事業主に実施が義務付けられている上記①~③の健康診断の費用については、企業が当然に負担すべきものとされています。
採用選考の際の健康診断の実施の可否及び実施の際の留意点
上記のとおり、法律上事業主は雇入れ時の健康診断の実施が義務付けられていることから、採用選考の際の資料収集の目的で、健康診断を実施しようと考える企業もあるでしょう。
しかし、行政解釈では、雇入れ時の健康診断は、「常時使用する労働者を雇い入れた際における適正配置、入職後の健康管理に役立てるために実施するものであって、採用選考時に実施することを義務づけたものではなく、また、応募者の採否を決定するために実施するものでもありません。」(平5.5.10 労働省事務連絡「採用選考時の健康診断について」)として、採用選考時に行う必要はないと明記されています。
他方で、企業は、採用の自由を有し、その前提として採否を決定するための必要な調査を行う自由があります(三菱樹脂事件・最判昭48.12.12)。そして、採用選考時の健康診断も、職種や業務内容によっては、一定の身体的条件、能力を有するかを判断するために必要な場合がありますので、必要に応じて実施することが可能です(B金融公庫(B型肝炎ウイルス感染検査)事件・東京地判平15.6.20労判854号5頁、東京都(警察学校・警察HIV検査)事件・東京地判平15.5.28労判852号11頁同旨)。
もっとも、厚生労働省の「公正な採用選考をめざして」(令和3年度版)では、就職差別につながるおそれがある事項の一つとして、採用選考時の健康診断を挙げられ、「その必要性を慎重に検討し、それが応募者の適正と能力を判断する上で合理的かつ客観的に必要である場合を除いて実施しないようお願いします。」、「健康状態を確認する場合であっても、本人にその必要性を説明し、本人の同意を得た上で確認することが求められます。また、業務とは関係のない項目が記された健康診断書の提出は求めないようお願いします。」と記載されています。
また、「公正な採用選考をめざして」では、就職差別につながるおそれのある「問題事例」として、高所作業が多いことから、貧血の人を採用することを避けるため、技術職と事務職を含め応募者全員に血液検査を実施したものの、実際には事務職は高所作業を行わないことが判明した事例を挙げています。血液検査は、HIV感染などプライバシー保護の必要性の高い事項が判明するおそれがあるため、特にその必要性を慎重に検討する必要があります。
一方で、運転・配送業務についての募集をする際に、失神等安全運転に支障をきたすような発作等の有無を確認することは、合理的・客観的な必要性が認められるとされています。
以上をまとめると、採用選考時の健康診断の実施は、法律上の義務ではなく、業務への適格性を判断する上で必要な場合に限って実施されるべきものであり、就職差別と捉えられないようその必要性について本人に十分な説明を行い、同意を得た上で実施することが望ましいといえます。
雇入れ時の健康診断等の労務問題について当事務所でサポートできること
雇入れ時の健康診断は、従業員を雇用する企業全てに関わる事項であるとともに、上記のように留意するポイントが多々あります。また、採用選考の際に不必要な健康診断を実施した場合には、従業員からプライバシー侵害を理由として不法行為に基づく損害賠償請求を受ける可能性もあります。
当事務所には、労務問題について経験豊富な弁護士が多数いるので、健康診断の実施方法や実施項目等について法的なアドバイスをすることが可能です。雇入れ時の健康診断等の労務問題にお悩みの際は、当事務所に是非ご相談ください。
Last Updated on 2024年10月1日 by loi_wp_admin