
文責:中村 仁恒
1 はじめに
近年、医療現場において患者やその家族による暴言、暴力、理不尽な要求といった「ペイシェントハラスメント(ペイハラ)」が深刻化しています。これは単なるクレームではなく、医療従事者を疲弊させ、離職を招き、他の患者への医療の質・安全性をも脅かす重大なリスクです。また、過去の最悪なケースでは、凶悪事件に発展したケースも存在します 。
安全で質の高い医療は、患者と医療者の信頼関係の上に成り立ちます 。本稿では、ペイシェントハラスメントの定義から具体的な対策までを解説し、医療機関が組織としていかに法的根拠をもって対応すべきか、その指針を示します。これは、医療現場の安全と秩序を守り、すべての患者様へ最善の医療を提供し続けるための、不可欠なリスクマネジメントです。
2 ペイシェントハラスメントとは
ペイシェントハラスメントと、患者様からの正当な申し出は明確に区別されなければなりません。その判断基準として、厚生労働省が公表した「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」の定義が広く用いられています。
これによれば、ペイハラは患者等からのクレーム・言動のうち、当該クレーム・言動の要求の内容の妥当性に照らして、当該要求を実現するための手段・態様が社会通念上不相当なものであって、当該手段・態様により、医療従事者の就業環境が害されるものと定義できます。
これにより、ペイハラ該当性は、以下の2つの軸から判断されます。
(1)要求内容の妥当性
医療機関側に診療上の過誤や過失が認められない場合や、要求が提供する医療サービスと無関係である場合、その要求は「妥当性を欠く」と判断されます 。
(2)手段・態様の相当性
たとえ要求内容に一部妥当性があったとしても、暴行、脅迫、大声での威圧、長時間の居座りなど、その手段が社会通念上、許容される範囲を超えている場合はハラスメントに該当します 。
この客観的な定義は、医療従事者にとって重要な「法的根拠」となります。個人の主観的な「辛さ」ではなく、「社会通念上不相当な行為」という客観的な基準で対応することが可能になり、医療機関として「正当なご意見には真摯に対応しますが、ハラスメント行為は許容しません」という明確な境界線を引くための基盤となります。
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3 ペイシェントハラスメントの具体例
ペイシェントハラスメントは様々な形態で現れます。行為を類型化して把握することは、迅速な認識と適切な対応に役立ちます。
カテゴリー 具体例 ア. 身体的・精神的攻撃 暴行・傷害、物を投げつける、脅迫、暴言、名誉毀損・侮辱、大声を出す、人格を否定する発言、土下座の要求 イ. 拘束的行動・不当要求 院内からの不退去・居座り、長時間の電話や面談の強要、診療費の不払い、正当な理由のない金銭補償の要求、特別扱いの要求、院内規則に従わない行為 ウ. その他の迷惑行為 許可のない撮影・録音、SNSやインターネット上での誹謗中傷、ストーカー的行為、職員の個人情報を執拗に求める行為、性的な言動(セクシャルハラスメント)、院内での宗教・政治活動
4 ペイシェントハラスメントとカスハラ対策の関係
ペイハラは、広義の「カスタマーハラスメント(カスハラ)」が医療現場で発生したものです。したがって、厚生労働省の「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」は、医療機関が対策を構築する上での強力な拠り所となります 。
このマニュアルで示されている定義や具体例、推奨される対策(基本方針の明確化、相談体制の整備、研修の実施など)は、医療機関のペイハラ対策に応用することが可能です 。
5 ペイシェントハラスメントの未然防止
最も効果的な対策は、ペイハラの発生を未然に防ぐことです。そのため、組織全体で取り組み、「予防法務」の視点が不可欠です。
(1)毅然とした方針の明示
組織として「ペイハラを一切容認しない」という方針を内外に明確に示します。院内の待合室やウェブサイトなどに、ハラスメントの具体例と、それに対しては診療拒否や警察へ通報する場合があることを明記したポスター等の掲示等が考えられます 。これにより、不適切な言動を思いとどまらせる抑止効果が期待できます。
(2)院内体制の整備
方針を実効性あるものにするため、以下のような体制整備が求められます。
①対応マニュアルの策定:発生時の対応手順、報告ルート、役割分担などを定めたマニュアルを作成・共有し、誰でも一貫した対応が取れるようにします。
②職員研修の実施:ロールプレイングなどを通じ、実践的な対応スキルを身につける研修を定期的に実施します 。
③相談体制の構築:職員が被害を一人で抱え込まないよう、安心して相談できる窓口を設置し、精神的負担を軽減します 。
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6 ペイシェントハラスメント発生時の対処法
ハラスメントが発生した場合は、職員の安全確保を優先しつつ、冷静かつ組織的な対応が求められます。
(1)組織としての初期対応
①一人で対応しない:必ず上司や他の職員が同席し、複数名で対応します 。これは職員の精神的負担を軽減するとともに、証人を確保する効果もあります。
②場所を移動する:他の患者への影響を避けるため、可能であれば別室へ案内します 。その際、職員の避難経路が確保された場所が望ましいです。
③冷静かつ毅然とした態度を保つ:相手の言い分を傾聴しつつも、暴言や威圧には「そのような話し方では対応できません」と明確に境界線を示し、不当な要求はきっぱりと断ります 。その場で安易な謝罪や約束はしません 。
(2)証拠の記録と保全
将来的な法的措置を視野に入れ、客観的な証拠を確保することが極めて重要です。
①詳細な記録の作成:対応後速やかに、日時、場所、対応者、相手の言動、要求内容などを時系列で具体的に記録します。
②音声・映像の記録:やり取りを客観的に記録するため、録音や録画を検討します。防犯カメラの映像も強力な証拠となります 。
③現場の保全:器物損壊や傷害が発生した場合は、警察が到着するまで現場を保全し、写真撮影などで記録します 。
(3)外部専門機関との連携
院内での対応には限界があります。状況に応じて、躊躇なく外部に助けを求めるべきです。
①警察への通報:暴力行為、脅迫、器物損壊、悪質な不退去など、犯罪行為に該当する場合は直ちに警察に通報します。
②弁護士への相談:ハラスメントが執拗に繰り返される場合や、法的な対応が必要な事案は、早期に弁護士へ相談することが、事態の悪化を防ぎ、適切な解決への近道となります 。
7 弁護士に相談する必要性
弁護士の関与は、問題の拡大防止と根本的な解決のために非常に重要です。
(1)「応召義務」との関係整理
患者の迷惑行為によって信頼関係が破壊され、安全な医療の提供が困難になった場合、診療を拒否する「正当な事由」があると判断される可能性があります 。弁護士は、個別の事案がこれに該当するかを法的に評価し、適切な判断を行うための助言が可能です。
(2)警告等
迷惑行為が続く場合、弁護士名義で内容証明郵便による警告書を送付することは非常に有効です 。法律の専門家が介入したという事実が相手方の冷静な対応にも繋がります。
(3)不当な要求からの防御
不当な金銭要求や訴訟をちらつかせるケースに対し、弁護士は法的妥当性を判断し、代理人として交渉の窓口となることで、職員を直接の矢面に立たせることなく問題を処理します。
(4)法的措置の実行
暴行、名誉毀損、業務妨害などに対しては、被害届の提出や刑事告訴、損害賠償請求といった法的措置を検討します。弁護士は、証拠収集から法的手続きまでを一貫して行い、医療機関の権利を守ります 。
8 当事務所のサポート内容
当事務所は、医療機関がペイハラに対して法的根拠に基づいた組織的対応体制を構築するための、包括的なリーガルサポートを提供いたします。
(1)平時からの予防法務
①方針・マニュアルの策定支援:各医療機関の実態に応じた、実効性の高いハラスメント対策方針や対応マニュアルの策定を支援します 。
②職員研修の実施:弁護士が講師となり、法的定義や判例、証拠収集の重要性など、実践的な内容の研修を実施し、組織全体の対応能力向上を図ります 。
(2)有事における代理対応
①交渉窓口の一本化:当事務所が交渉の窓口となり、相手方との一切の連絡を引き受けます。これにより、職員の皆様は本来の医療業務に専念できます 。
②警告書の送付:弁護士名義による内容証明郵便等で行為の中止を求める正式な警告を行い、問題の早期解決を促します 。
(3)最終的な法的措置
①インターネット上の誹謗中傷への対応発信者情報開示請求によって投稿者を特定し、投稿の削除や損害賠償請求を行います 。
②訴訟・刑事告訴:悪質な事案に対し、損害賠償請求訴訟や刑事告訴手続きをサポートします 。
健全な医療環境の維持は、医療機関にとって基本かつ重要な課題です。ペイハラの問題にお悩みの場合、また、将来のリスクに備えたいとお考えの場合は、ぜひ一度当事務所にご相談ください。
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Last Updated on 2025年10月27日 by loi_wp_admin



