
文責:岩野 高明
退職した従業員による競業行為
退職した元従業員が、退職前の会社と競合する会社に転職したり、退職前の会社と競合する事業を自ら始めたりすることがあります。また、このような競業をするだけではなく、退職前の会社の顧客に連絡をして、顧客を奪おうとすることもあります。このような競業や顧客の奪取を防止するためには、どのような手段をとればよいのでしょうか。
競業の態様
一口に競業といっても、その態様は様々です。単純に退職前の会社と同種の事業をするだけの競業もあれば、顧客の奪取を企図する競業もあります。顧客だけでなく、従業員の引き抜きを伴うような過激な態様の競業行為は、ときに大きな紛争に発展します。
また、競業の方法も、競合する他社に従業員として転職する、競合する他社の役員に就任する、競合する会社を自ら設立する、競合する事業を個人事業主として開業する、競合する事業者にアドバイザーやコンサルタント、業務委託先などとして関与するといったバリエーションがあります。
競業を禁止するためには誓約書や就業規則の定めが必要か
使用者が従業員に対し、退職後に競業避止義務を負わせるための主な方法としては、労働者との間で個別に競業避止に関する合意(競業避止特約)をするか、もしくは就業規則に競業避止の規定を置くことが考えられます。多くの企業では、従業員に対して「退職後に競業をしない」旨の誓約書を差し入れさせたり、退職後の競業を制限する旨を就業規則で定めたりしています。このような措置がない場合には、使用者は従業員に対し、退職後の競業避止を労働契約上の義務として負わせることはできません。競業避止義務は、労働契約や信義則から当然に導かれる労働者の義務ではないからです。
では、競業避止が労働契約上の当然の義務ではないとしても、退職した従業員が競業を開始して既存の顧客を奪うような行動に出た場合には、企業は元従業員に対し、顧客の奪取について不法行為に基づく損害賠償を求めたり、顧客との取引の停止を求めたりすることができるでしょうか。
この点に関して、最高裁は、サクセスほか(三佳テック)事件上告審判決(最一小判平成22年3月25日・労判1005号5頁)において、退職前の会社の営業秘密を用いたり、退職前の会社の信用をおとしめたりするなどの不当な方法で営業活動を行ったのでない限り、退職後に顧客を奪うような競業行為をしても、これをもって社会通念上自由競争の範囲を逸脱した違法なものとはいえないと判示し、不法行為の成立を否定しました。同最高裁判決の判旨は次のとおりです。
「前記事実関係等によれば、上告人Y1は、退職のあいさつの際などに本件取引先の一部に対して独立後の受注希望を伝える程度のことはしているものの、本件取引先の営業担当であったことに基づく人的関係等を利用することを超えて、被上告人の営業秘密に係る情報を用いたり、被上告人の信用をおとしめたりするなどの不当な方法で営業活動を行ったことは認められない。(中略)退職者は競業行為を行うことについて元の勤務先に開示する義務を当然に負うものではないから、上告人Y1らが本件競業行為を被上告人側に告げなかったからといって、本件競業行為を違法と評価すべき事由ということはできない。上告人らが、他に不正な手段を講じたとまで評価し得るような事情があるともうかがわれない。
以上の諸事情を総合すれば、本件競業行為は、社会通念上自由競争の範囲を逸脱した違法なものということはできず、被上告人に対する不法行為に当たらないというべきである。なお、前記事実関係等の下では、上告人らに信義則上の競業避止義務違反があるともいえない」
この最高裁判決の事案では、競業避止に関する個別の合意(競業避止特約)も、競業避止に関する就業規則上の規定もありませんでした。このような状況においては、退職者は、自由競争の範囲を逸脱するような不正な手段を用いない限り、既存顧客の奪取を伴う態様の競業行為をも、自由にすることができるという司法判断が確立したといえます。このため、企業としては、競業避止に関する個別の合意(競業避止特約)をするか、もしくは就業規則に競業避止に関する規定を置く必要が出てくるのです。
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競業避止に関する個別の合意(競業避止特約)の効力
ただ個別の合意(競業避止特約)さえすればよいというものでもありません。競業避止特約がある事案においても、裁判所は、特約の効力を厳格に評価し、少なくない事案で競業避止特約を無効としています。裁判所は、①特約により守るべき企業の利益の有無、②競業避止義務を負うことになる従業員の地位、③競業が制限される範囲の合理性の有無、④代償措置の有無などを総合的に考慮して、特約の効力の有無を判断する傾向があります。
①については、企業が人的・物的資本を投じて顧客を開拓している以上、通常は認められるでしょう。②については、幹部職員など重要な情報に接する者に対する一定程度の競業禁止措置は、やむを得ない(合理性がある)と判断されることがあります。上記のうち特に重要なのが、③と④です。
③競業が制限される範囲が合理的か否かについては、㋐制限される行為の内容(競業行為全般を禁止するのか、既存の取引先との取引のみを禁じるのかなど)、㋑禁止する地域的な範囲(特定の地域においてのみ競業を禁止するなど)、及び㋒禁止期間の長短を検討する必要があります。
㋐競業行為全般を禁止することは、退職者の職業選択の自由(憲法第22条1項)に対する制約の程度が大きいので、特約の有効性のハードルは高くなります。他方、競業自体は認めつつ、既存の取引先との取引のみを禁止するのであれば、制約の程度は小さいので、特約の効力は認められやすくなります。
㋑禁止する地域的な範囲を設定することによって、競業による悪影響を回避できるのであれば、これも検討に値します。退職者の職業選択の自由への制約の程度も、やや緩和されます。
㋒禁止期間の設定は、とりわけ重要です。他の要素(例えば㋐の要素)との兼ね合いもありますが、半年から1年程度が無難なところです。㋐で競業行為全般を禁止しつつ、3年もの禁止期間を設けることは、合理的な制限の範囲を逸脱していると評価される可能性が高くなります。期間を定めず事実上無期限の禁止を定める特約も見かけますが、裁判で争われた場合には、見通しは厳しくなるかもしれません。
④の代償措置というのは、要するに、競業を禁止する代わりに退職者に支払う金銭を意味します。例えば、退職金を上乗せするなどです。上記のとおり、競業避止特約は、退職者の職業選択の自由を制約するものですので、その代償として、一定の金銭を支給することを検討すべきです。代償措置がある場合とない場合では、特約の効力に大きな違いが生じます。というのも、④の代償措置がない限り、通常は、競業避止特約をすることについて労働者の側には何らメリットがないからです。裁判所は、「労働者に不利な内容の合意については、労働者が自由な意思に基づいて合意したと認め得る特段の事情がない限りは、効力を認めない」という論理をしばしば用います。代償措置という労働者側のメリットを用意することによって、労働者の「自由な意思」を担保するのです。
次に、競業避止特約をする時期は、いつがよいでしょうか。労働者の側には、使用者と競業避止特約を結ぶ義務はありませんので(使用者は署名を強制できません)、退職時に誓約書等への署名を求めても、競業を予定している労働者からは署名を拒否される可能性があります。また、労働者が署名しても、十分な代償措置が講じられていないと、「退職時の競業避止特約は労働者の自由な意思に基づくものではない」と判断されるリスクもあります。
そうすると、誓約書への署名は、もっと早い時期、例えば、入社前や入社直後などにしてもらうのがよさそうです。
競業避止に関する就業規則上の規定の効力
各々の労働者と個別に合意しなくても、就業規則に競業避止に関する規定がある場合には、その内容が合理的なものである限り、競業避止義務は、使用者と労働者との間の労働契約の内容となります。したがって、競業避止特約がなくても、就業規則に競業避止規定があれば、労働者は、競業避止義務を負うことになります。競業避止規定によって、競業避止特約を代替することが可能です。
ただし、入社後に競業避止規定を加える場合には、就業規則の不利益変更の問題が生じるので、競業避止の範囲や、禁止期間については、入念な検討が必要です。従前に比べて格段に厳しい義務を負わせたりすると、規則の変更の効力が認められなくなる可能性があります(労働契約法第10条参照)。
また、競業避止規定は、これにより労働者に義務を負わせるものですので、競業避止の内容が具体的・一義的である必要があります。抽象的な書きぶりの規定では、まったく効力が認められない可能性が出てきます。例えば、「従業員が退職するときは、会社に対して競業避止に関する誓約書を提出しなければならない」というような規定では、競業避止の内容が不明確ですので、意味のない規定ということになるでしょう。
まとめ
以上をまとめると、競業避止義務を設定する場合には、
【競業避止特約(誓約書等)】については、
・なるべく早い時期に特約を結ぶ
・禁止の範囲(競業全般を禁止するか、既存の顧客との取引のみを禁止するか)や期間は抑制的に
・代償措置を検討する
【就業規則上の競業避止規定】については、
・内容を明確に
・後から加える場合は不利益変更の効力の問題が生じる(内容を慎重に吟味)
などの点に注意するとよいでしょう。
競業避止義務に関しては、少なくとも数十件、もしかすると100件を超える数の裁判例が蓄積されているのですが、事案ごとに、禁止の範囲や禁止期間などが微妙に違っていることもあって、結論は一つの方向を向いているわけではありません。予測可能性が低い理由の一つに、裁判官の個性や価値観が影響しているようにも感じます。企業側の利益を重視するのか、労働者の職業選択の自由を重視するのか、バランス感覚は裁判官といえども十人十色です。企業としては、微妙なところ、ギリギリを攻めるのではなく、あえて保守的なルールにとどめておいて、退職する労働者のほうに「争っても勝てない」と思わせるほうが得策かもしれません。
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競業避止義務に関して当事務所でサポートできること
当事務所は、競業避止義務に関する企業からのご相談はもちろん、交渉・裁判等の紛争案件への対応まで、この問題に幅広く取り組んでいます。使用者が可能な限り有利なポジションを確保できるよう、平時から効果的なサポートをいたします。退職後の従業員による競業行為を心配されているのであれば、ぜひ一度ご相談ください。
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Last Updated on 2024年7月18日 by loi_wp_admin