文責:木原 康雄
1 雇用契約書作成の必要性
雇用(労働)契約とは、労働者が使用者に対して労働に従事することを約し、これに対する対価(賃金)の支払いを使用者が約束する契約ですが、それを定めている民法623条・労働契約法6条は、契約書面の作成を義務づけているわけではありません。
しかしながら、口頭だけですと、約束の内容が不明確になり、とりわけ立場の弱い労働者が、予期しない低い労働条件で働くことを強いられるおそれがあります。
また、募集や採用の時点では、使用者が魅力的な労働条件を提示していたにもかかわらず、実際にはそれと異なった劣悪な労働条件であったといった事態がしばしば生じます。
そこで、労働基準法15条は、労働条件を労使が対等の立場で決定するという原則(労働基準法2条1項・労働契約法3条1項)を実効あらしめるため、使用者に対し、契約締結時における労働条件の明示を義務づけています。
そして、この明示は、原則として書面の交付により、ただし、労働者が希望した場合には例外的に、ファクシミリまたは電子メール等(労働者が当該電子メール等の記録を出力することにより書面を作成することができるものに限られます)の送信により行うべきものとされています(労働基準法15条1項後段・労働基準法施行規則5条4項)。
以上から、労働条件を明示するための書面の作成が必要となるのです。
2 明示書面の形式
書面の形式としては、一般に、雇用契約書の形と、労働条件通知書の形があります。
違いは、前者が、使用者・労働者がともに署名(記名)押印するものであるのに対し、後者は、使用者が労働条件を記載した書面を、一方的に労働者に交付するという点です。
どちらでも労働基準法上は問題ありませんが、労働者が明示された労働条件に納得して契約を締結したことの証拠とし、労働条件をめぐる紛争を未然に防止するためには、労働者が署名押印する契約書の形式が望ましいといえます。
なお、労働条件通知書については、厚生労働省のHPにひな形が公表されています。雇用契約書でも記載すべき内容は同じですので、参考にしてください。
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3 就業規則との違い
就業規則も、労働者の労働条件が記載されたものですが、雇用契約書との違いはどのような点にあるのでしょうか。
就業規則は、使用者が、効率的で公平な事業経営のために、多数の労働者に適用される統一的な労働条件や職場規律を、一方的に定めたものです。そして、その内容が合理的で、労働者に周知されていた場合には、それが各労働者との間の労働契約の内容となります(労働契約法7条)。
つまり、雇用契約書も就業規則も、労働者の労働条件を定めるものという点では共通しています。
また、下記4・5の雇用契約書で明示すべき労働条件と、就業規則で定めるべき事項(労働基準法89条)は、多くの部分で重なりますので、その範囲では大きな違いはないといえます。
もっとも、すべての労働者に公平・統一的に適用されるべき労働条件・職場規律には様々なものがあり、それらをすべて雇用契約書に盛り込むということは実際上困難です。そこで、就業規則というルールブックに、まとめて記載しておくということが必要になってきます。
他方で、政策的理由等から、ある特定の労働者については、就業規則上の労働条件より有利な条件で雇用・処遇したいという場合もあり得ます。そういう場合には、就業規則より労働者に有利な労働条件を雇用契約書で定めておけば、それが当該労働者の労働条件となります(労働契約法7条但書)。このように、個別の取扱いを可能にするという点に雇用契約書独自の意味があるといってよいでしょう(ただし反対に、就業規則よりも労働者に不利な労働条件を定めることはできません、労働契約法12条)。
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4 正社員に対する明示事項
使用者が、正社員に対して明示すべき労働条件は、下記(1)~(13)のとおりです。
このうち、前記の書面での明示が求められているのは、(1)~(5)です(ただし、(4)のうち昇給に関する事項は除きます)。
(4)の昇給と(6)~(13)その他の事項は、口頭での明示でも問題ないことになりますが、しかしながら、紛争予防という前記の趣旨や、契約内容をできる限り書面により確認することとしている労働契約法4条2項から、書面で明示することが望ましいでしょう。
なお、(6)~(13)は、これらに関する定めをしない場合には、明示の必要はありません。
(1)労働契約の期間に関する事項
有期雇用契約の場合はその期間、無期雇用契約の場合はその旨を記載する必要があります(平11・1・29基発45号)。
(2)就業の場所及び従事すべき業務に関する事項
2024年4月1日施行の改正労働基準法施行規則により、労働契約締結時の就業場所・業務と、その後の変更の範囲を明示することとされています。
「変更の範囲」には今後の見込みも含まれますので、転勤等があるのであれば、「会社の定める営業所」、「会社の定める業務」などといった包括的な記載になる場合もあり得ます。
また、テレワークを行うことが想定される場合には、就業場所として「会社の定める場所(テレワークを行う場所を含む)」などと記載する必要があります(日常のご相談の中で、この点の記載を失念しているケースが散見されますので、注意してください)。
(3)始業及び終業の時刻、所定労働時間を超える労働の有無、休憩時間、休日、休暇並びに労働者を2組以上に分けて就業させる場合における就業時転換に関する事項
当該労働者に適用される労働時間数に関する具体的な条件を明示する必要があります。
ただし、その内容が膨大なものとなる場合においては、所定労働時間を超える労働の有無以外の事項については、勤務の種類ごとの始業及び終業の時刻、休日等に関する考え方を示した上、当該労働者に適用される就業規則上の関係条項名を網羅的に示すことで足りるものとされています(平24・10・26基発1026第2号)。
(4)賃金(退職手当、臨時に支払われる賃金を除く)の決定、計算及び支払の方法、賃金の締切り及び支払の時期並びに昇給に関する事項
就業規則の規定と併せ、賃金に関する事項が当該労働者について確定し得るものであればよく、たとえば採用時の辞令等であって、就業規則等に規定されている賃金等級が表示されたものでも差し支えないものとされています(ただし、その就業規則の周知が前提です、昭51・9・28基発690号)。
(5)退職に関する事項(解雇の事由を含む)
退職事由・手続、解雇事由等を明示します。
ただし、内容が膨大なものとなる場合は、当該労働者に適用される就業規則上の関係条項名を網羅的に示すことで足りるものとされています(平11・1・29基発45号、平15・10・22基発1022001号)。
(6)退職手当の定めが適用される労働者の範囲、退職手当の決定、計算及び支払の方法並びに退職手当の支払の時期に関する事項
(7)賞与などの臨時に支払われる賃金等(退職手当を除く)、並びに最低賃金額に関する事項
(8)労働者に負担させるべき食費、作業用品その他に関する事項
(9)安全及び衛生に関する事項
(10)職業訓練に関する事項
(11)災害補償及び業務外の傷病扶助に関する事項
(12)表彰及び制裁に関する事項
(13)休職に関する事項
5 パートタイム・有期雇用労働者に対する明示事項
パートタイム・有期雇用労働者に対しては、前記4の(1)~(5)に加え、下記の事項も書面により明示する必要があります。
なお、それ以外の事項であっても、書面明示が望ましいことは前述のとおりです。
(1)労働基準法15条によるもの
ア 有期雇用契約を更新する場合の基準に関する事項
有期雇用契約であって、その期間満了後に更新する場合があるものであるときに記載します。
記載内容としては、労働者が雇用継続の可能性を一定程度予見できるものである必要がありますが、たとえば「更新の有無」として、
・自動的に更新する
・更新する場合があり得る
・契約の更新はしない
等を、また「契約更新の判断基準」として、
・契約期間満了時の業務量により判断する
・労働者の勤務成績、態度により判断する
・労働者の能力により判断する
・会社の経営状況により判断する
・従事している業務の進捗状況により判断する
等を明示することが考えられます(平24・10・26基発1026第2号)。
なお、前記改正労働基準法施行規則により、有期雇用契約の締結と契約更新のタイミングごとに、更新上限(労働契約法18条1項の通算契約期間、または、更新回数の上限)がある場合には、その内容の明示が必要になりました。
また、同時に施行された改正「有期労働契約の締結、更新及び雇止めに関する基準」により、更新上限を新設・短縮しようとする場合には、その理由をあらかじめ説明しなければならないものとされています。
イ 無期転換に関する事項
前記改正労働基準法施行規則により、労働契約法18条による無期転換申込権が発生する契約更新のタイミングごとに、該当する有期雇用契約の契約期間の初日から満了日までの間、無期転換を申し込むことができる旨(無期転換申込機会)、及び、無期転換後の労働条件の明示が必要です。
また、前記改正「有期労働契約の締結、更新及び雇止めに関する基準」により、無期転換後の労働条件を決定するに当たり、他の正社員等とのバランスを考慮した事項の説明に努めることとされています。
(2)パート・有期労働法6条によるもの
パート・有期労働法6条により、「昇給の有無」、「退職手当の有無」、「賞与の有無」、「相談窓口」を明示することとされています。
6 雇用契約書を作成していないことによって生じるリスク
使用者が、雇用契約書を作成するなどして前記4・5(1)の労働条件を明示する義務を怠った場合、30万円以下の罰金刑を受けるおそれがあります(労働基準法120条1号)。
前記5(2)のパート・有期労働法違反についても、10万円以下の過料が定められています(同法31条)。
また、労働者が10人未満の場合は就業規則の作成が義務づけられていないため、作成していないケースもあるかと思いますが、その場合に雇用契約書も作成していないと、特に全労働者に適用されなければならない就業上の重要なルール(たとえば守秘義務やハラスメント防止義務など)を定めていないことになってしまいます。ハラスメント防止に関するルールの策定は、使用者に課せられた法律上の義務(ハラスメント防止措置義務)ですので、雇用契約書を作成して、そこに定めていないと、この義務違反にもなってしまいます。
さらに、たとえばハラスメントを行った労働者に対しては懲戒処分が検討されるわけですが、懲戒処分を科すためには根拠規定が必要とされています。就業規則がなく、懲戒の種類・事由を定めた雇用契約書も作成されていなければ、懲戒処分も科すことができないということになってしまいます。
7 雇用契約書の重要性と当事務所でサポートできること
雇用契約書を作成していない場合、前記のとおり、罰則の適用があったり、労働条件をめぐるトラブルが生じる可能性があるだけでなく、職場規律を確保し、企業秩序を維持することも困難になってしまうおそれがあることになります。
このようなリスクを回避するためには、就業規則とも内容を突き合わせながら、労働基準法等の関係法令に則った適正な内容の雇用契約書を作成することが重要になります。
個々の会社の業務や賃金制度の特殊性にも目配りしつつ、関係法令に則った雇用契約書・就業規則を整備する際には、多数・多業種の会社の労務管理について多くの経験を有する弁護士に相談するのが有益です。
会社の特殊性に応じた適正な労務管理体制を構築するためにも、当事務所にご相談いただければと思います。
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Last Updated on 2024年7月18日 by loi_wp_admin