
文責:松本 貴志
本記事では、小売業・卸売業の現場で起きやすいカスタマーハラスメントの定義や具体例、カスハラが放置されやすい業界の構造、放置した場合の法的リスク、そして2026年10月1日に施行される改正労働施策総合推進法によるカスハラ対策の義務化の内容について、解説しています。小売業・卸売業の経営者は、法改正の内容を踏まえて、カスハラ対策に関する方針の明確化、相談体制の整備、事後対応プロセスの確立を早急に進めることが重要です。
1.小売業・卸売業における「カスタマーハラスメント(カスハラ)」の定義と現状
カスハラとは、顧客や取引先などからの著しい迷惑行為によって、従業員の就業環境が害されることをいいます。これまで法律上の明確な定義はありませんでしたが、2025年6月に公布された改正労働施策総合推進法により、職場におけるカスハラが法律上定義され、事業主に対策が義務付けられることになりました。
改正法では、職場におけるカスハラを、①顧客等の言動であって、②従業員が従事する業務の性質その他の事情に照らして社会通念上許容される範囲を超えたものにより、③従業員の就業環境が害されるもの、とし、この3つの要素をすべて満たすものと整理しています。店頭での言動だけでなく、電話やSNSなどインターネット上で行われる言動も含まれます。
ここでいう「顧客等」には、実際に商品を購入した顧客だけでなく、今後購入する可能性がある人、問い合わせをしてきた人、取引先の担当者、契約交渉の相手方なども含まれます。つまり、店舗で一般消費者と接する小売業だけでなく、企業間取引が中心となる卸売業においても、取引先からの不当な要求や威圧的な言動は、カスハラとして対策の対象となります。
1-1.正当な苦情と、従業員を追い詰める「カスハラ」を切り分ける基準
小売業・卸売業の現場で最も悩ましいのが、「どこからがカスハラなのか」という線引きです。
まず大前提として、顧客からの苦情のすべてがカスハラに該当するわけではなく、客観的にみて、社会通念上許容される範囲で行われたものは、いわゆる正当な申し入れであり、カスハラには該当しません。
商品の不具合や接客態度に対する指摘は、企業にとってサービス改善のための貴重な情報であり、誠実に対応すべきものです。また、障害のある方が不当な差別的取扱いをしないよう求めることや、合理的配慮を求める意思を表明すること自体は、カスハラには当たらないとされています。
厚生労働省の指針では、「社会通念上許容される範囲を超えた言動」かどうかを、大きく2つの観点から判断するとしています。
1つ目は「要求の内容」の観点です。そもそも要求に理由がない、または商品・サービスとまったく関係のない要求、契約等で想定されているサービスを著しく超える要求、対応が著しく困難または不可能な要求、不当な損害賠償要求などがこれに当たります。
2つ目は「手段・態様」の観点です。暴行や傷害などの身体的な攻撃、脅迫・中傷・侮辱・暴言・土下座の強要などの精神的な攻撃、威圧的な言動、継続的・執拗な言動、不退去や居座り、監禁といった拘束的な言動がこれに当たります。
重要なのは、要求の内容と手段・態様のどちらか一方だけが許容範囲を超えている場合でも、カスハラに該当し得るという点です。たとえば、購入した商品に実際に不良があり、返品・交換を求めること自体は正当であっても、大声で怒鳴り続けたり、何時間も売場に居座ったりすれば、その手段・態様が社会通念上許容される範囲を超えるとして、カスハラと判断される可能性があります。
実務上は、「要求内容に正当性があるか」「要求の手段・態様が相当か」という2軸で整理し、判断に迷う場合は現場の従業員一人で判断させず、責任者や本部に判断を委ねる仕組みをつくっておくことが、小売業・卸売業におけるカスハラ対策の出発点となります。
1-2.小売業・卸売業の現場で頻発するカスハラの具体例
小売業の店舗では、次のようなカスハラが典型的に見られます。
・レジの待ち時間や品切れを理由に従業員を大声で怒鳴りつける
・明らかに使用済みの商品や購入から長期間経過した商品の返品・返金を執拗に求める
・謝罪として土下座を要求する
・従業員の氏名を聞き出してSNSに顔写真とともに投稿すると脅す
・閉店後も店内に居座り続ける
・同じ内容のクレーム電話を連日何時間もかけてくる
といったものです。セルフレジの導入や人手不足による少人数運営が進む中で、一人の従業員が矢面に立たされる場面も増えています。
一方、卸売業では、取引先という「立場の強い相手」からのカスハラが問題になりやすい傾向にあります。
たとえば、契約で定めた納期や数量を大幅に超える無理な要求を一方的に押し付ける、自社のミスではないトラブルについて過大な損害賠償や値引きを要求する、担当者を長時間拘束して人格を否定するような叱責を繰り返す、取引停止をちらつかせて不当な要求をのませようとする、といったケースです。
卸売業では取引関係の継続が経営に直結するため、担当者が一人で抱え込み、問題が表面化しにくいという特徴があります。
2.なぜ小売業・卸売業でカスハラが放置されやすいのか
小売業・卸売業は、他の業種と比べても顧客や取引先と接する機会が多く、カスハラが発生しやすい業種です。
しかし、それ以上に問題なのは、発生したカスハラが組織として適切に扱われず、放置されやすい構造があることです。
2-1.「お客様は神様」という現場の意識
我が国の小売業の現場では、長年にわたり「お客様第一」「お客様は神様」という考え方が浸透してきました。顧客満足を追求する姿勢そのものは事業の根幹であり否定されるべきものではありませんが、この意識が行き過ぎると、「どんな要求にも応えなければならない」「お客様に反論してはいけない」という誤った認識につながります。
その結果、理不尽な要求を受けた従業員が「自分の対応が悪かったのではないか」と自分を責め、上司にも相談できないまま我慢を続けてしまいます。
また、管理職自身が「クレーム対応も仕事のうち」「うまくかわすのがプロ」と考え、従業員からの相談を軽く扱ってしまうこともあります。卸売業においても、「取引先の機嫌を損ねてはいけない」という意識から、担当者が不当な要求を受け入れざるを得ない状況が生まれがちです。
こうした意識が組織全体に根付いていると、カスハラが「個人の問題」として処理され、会社としての対策が講じられないまま、被害が繰り返されることになります。
2-2.店舗・ブランドへの悪評を恐れる経営構造の弊害
小売業は、店舗の評判やブランドイメージが売上に直結するビジネスです。SNSや口コミサイトで悪評が拡散されることを恐れるあまり、経営側が「とにかく穏便に済ませてほしい」「多少の要求は飲んでも構わない」と現場に指示してしまうケースは少なくありません。
また、チェーン展開する小売業では、店舗ごとの売上目標や顧客満足度評価が重視され、店長や従業員が「クレームを本部に上げると評価が下がる」と考えて報告を控える傾向も見られます。
卸売業においても、取引先との関係悪化を恐れて営業担当者が問題を上司に報告しづらい組織風土があると、カスハラは水面下に潜ってしまいます。
しかし、不当な要求に安易に応じることは、かえって同じ顧客による要求のエスカレートを招き、他の顧客との公平性も損ないます。悪評を恐れて場当たり的な対応を続けることは、長期的には企業の信用と従業員の双方を傷つける結果となりかねません。
3.カスハラを放置することで発生するリスク
カスハラを「現場でうまく処理すべきもの」として放置していると、企業は人材面・法務面の双方で深刻なリスクを抱えることになります。
3-1.スタッフの離職
小売業・卸売業は、慢性的な人手不足に悩む業界です。
特に小売業では、パート・アルバイト従業員が店舗運営の中核を担っていることが多く、カスハラを受けた従業員が「この職場では守ってもらえない」と感じれば、容易に離職につながります。
一人の離職は、残った従業員の負担増加を招き、さらなる離職を誘発するという悪循環を生みます。
また、「カスハラを放置する会社」という評判が広がれば、採用活動そのものにも悪影響が及びます。
3-2.メンタル不調、企業の安全配慮義務違反リスク
カスハラによる精神的な負担は、従業員のうつ病や適応障害などのメンタル不調を引き起こすことがあります。
精神障害の労災認定基準においても、顧客や取引先などから著しい迷惑行為を受けたことが、心理的負荷を評価する具体的な出来事として位置付けられています。
企業には、労働契約法第5条に基づき、従業員が生命・身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう必要な配慮をする義務、すなわち安全配慮義務があります。
カスハラの被害を把握していながら、担当者の変更や対応方法の見直し、相談体制の整備などの措置を講じずに放置し、その結果として従業員が心身の健康を害した場合、企業は安全配慮義務違反として損害賠償責任を問われるおそれがあります。
さらに、2026年10月1日以降は、カスハラ対策が法律上の義務となります。義務とされた措置を講じていない場合には、労働局による助言・指導・勧告の対象となり、勧告に従わない場合には企業名が公表される可能性もあります。
また、法律上の措置義務を果たしていなかったという事実は、民事上の安全配慮義務違反の判断においても、企業に不利に働くことが想定されます。
4.2026年の法改正によるカスハラ対策の義務化の全体像
4-1.法改正の背景
カスハラについては、これまで2022年に厚生労働省が「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」を公表するなど、企業の自主的な取組みを促す形で対応が進められてきました。
しかし、各種調査においてカスハラ被害の深刻さが繰り返し指摘され、特に接客を伴う小売業やサービス業の労働組合などから、法的な対応を求める声が高まっていました。
地方自治体レベルでも動きがあり、東京都では2025年4月にカスタマー・ハラスメント防止条例が施行されるなど、社会全体としてカスハラを許さないという機運が高まってきました。
こうした流れを受け、2025年6月、労働施策総合推進法等の改正法が成立・公布され、パワハラ・セクハラなどと同様に、カスハラについても事業主に雇用管理上の措置を講じることが義務付けられることになりました。
施行日は2026年(令和8年)10月1日と定められ、あわせて具体的な措置の内容を定めた厚生労働大臣の指針も告示されています。
4-2.法改正のポイント
今回の法改正のポイントは、大きく次の3点です。
第一に、先ほど述べたとおり、カスハラの定義が法律上明確にされたことです。これにより、企業は「何がカスハラに当たるのか」を指針に沿って判断し、社内ルールに落とし込むことが求められます。
第二に、企業の規模や業種を問わず、すべての事業主にカスハラ防止のための雇用管理上の措置が義務付けられたことです。中小規模の小売店や卸売業者も例外ではありません。
指針では、講ずべき措置として、方針の明確化とその周知・啓発、相談体制の整備、事後の迅速かつ適切な対応、特に悪質なカスハラへの対処方針の策定と体制整備、相談者のプライバシー保護、相談したことを理由とする不利益取扱いの禁止などが挙げられています。
なお、対策を講じる際には、消費者の権利や、障害者差別解消法上の不当な差別的取扱いの禁止・合理的配慮の提供義務に留意する必要があるとされています。
第三に、事業主同士の協力に関する規定が設けられたことです。他の事業主から事実関係の確認などへの協力を求められた場合、これに応じるよう努めなければならないとされています。
また、自社の従業員が他社の従業員に対してカスハラを行わないよう、研修などの配慮をすることも事業主の責務とされました。
これは、取引先に対して「加害者」となり得る卸売業や、メーカー派遣の販売員が店頭に立つことの多い小売業にとって、特に意識すべき点です。
5.カスハラ対策の義務化に向けて経営者が取るべき対策
法律の施行を目前に控え、小売業・卸売業の経営者は、具体的に何をすべきでしょうか。
ここでは、義務化される措置のうち特に重要な3つの柱について、実務上のポイントを解説します。
5-1.カスハラ対策に関する方針の明確化
まず取り組むべきは、「当社はカスハラに対して毅然とした態度で対応し、従業員を守る」という方針を明確にし、社内に周知することです。経営トップのメッセージとして発信し、就業規則や社内規程、ハラスメント防止規程などに盛り込むことが考えられます。
あわせて、どのような言動がカスハラに当たるのか、そしてカスハラが発生したときにどう対処するのかを、あらかじめ定めて従業員に周知することが求められます。
指針では、対処の例として、その場の対応について管理監督者の指示を仰ぐこと、可能な限り従業員を一人で対応させないこと、犯罪に該当し得る言動は警察へ通報すること、本社・本部へ情報共有して指示を仰ぐことなどが挙げられています。
小売業であれば、「一定時間を超える対応は責任者に交代する」「土下座の要求や暴言があった場合は対応を打ち切る」「録音・記録を行う」といった具体的な対応基準を、店舗マニュアルに落とし込むことが有効です。
卸売業であれば、「契約外の要求は担当者限りで応諾しない」「取引停止を示唆する威圧的な要求は上長・法務部門に即時報告する」といったルールが考えられます。
さらに、対外的な方針の公表も検討に値します。カスハラに対する基本方針を自社のウェブサイトや店頭に掲示することで、顧客や取引先に対して一定の抑止効果が期待でき、従業員にとっても「会社が守ってくれる」という安心感につながります。
また、特に悪質なカスハラについては、出入り禁止、取引の停止、法的措置の検討などの対処方針をあらかじめ定め、それを実行できる体制を整えておくことも義務の内容に含まれています。
5-2.報告・相談体制の整備
方針を定めても、現場の従業員が被害を報告・相談できなければ意味がありません。カスハラについての相談窓口をあらかじめ定め、従業員に周知することが義務付けられています。
小売業では、店舗の従業員が店長に相談しにくい場合や、店長自身が被害を受けている場合も想定されるため、店舗外の本部や人事部門、外部の専門窓口など、複数の相談ルートを用意しておくことが望ましいといえます。
パート・アルバイトを含むすべての従業員が相談窓口の存在を知っていることが重要ですので、休憩室への掲示や入社時研修での説明など、周知方法にも工夫が必要です。
また、相談窓口の担当者が適切に対応できるよう、研修やマニュアルの整備も求められます。相談を受けた際に「あなたの対応にも問題があったのでは」といった二次被害を生む対応をしてしまわないよう、担当者の教育は欠かせません。
さらに、相談者のプライバシーを保護すること、相談したことや事実確認に協力したことを理由に不利益な取扱いをしないことを社内規程で定め、周知することも必要です。
報告を促すためには、カスハラの報告を店舗や担当者のマイナス評価に結び付けない人事評価制度の見直しもあわせて検討すべきでしょう。
5-3.被害に遭った従業員への対応プロセスの確立
カスハラが発生した場合には、事実関係を迅速かつ正確に確認し、被害を受けた従業員に配慮した措置を講じ、再発防止策を実施することが求められます。
事実確認にあたっては、被害を受けた従業員や同僚からの聴き取りに加え、防犯カメラの映像、通話録音、メールやSNSの記録などを確保しておくことが重要です。
小売業では防犯カメラが設置されていることが多いため、映像の保存期間や保存手順をあらかじめ定めておくと、いざというときに証拠を確保しやすくなります。卸売業では、取引先とのやり取りをメールや議事録で記録に残す習慣づけが有効です。
被害を受けた従業員への配慮としては、メンタルヘルス不調の有無の確認と産業医・専門家による相談機会の提供、加害者となった顧客・取引先への対応担当からの外し、配置転換や休暇の付与、必要に応じた医療機関の受診勧奨などが考えられます。
一人の従業員に対応を任せきりにせず、会社として加害者への対応を引き取ることが何より大切です。
再発防止策としては、発生事例を社内で共有し、対応マニュアルや研修内容を見直すことが挙げられます。また、悪質な事案については、警告文の送付、出入り禁止の通知、取引の見直し、刑事告訴や損害賠償請求などの法的措置も視野に入れて、毅然と対応する必要があります。
6.小売業・卸売業におけるカスハラに関して弁護士に相談するメリット
カスハラ対策の義務化にあたり、弁護士に相談することには多くのメリットがあります。
第一に、法改正や指針の内容を正確に踏まえた社内体制を構築できる点です。就業規則やハラスメント防止規程の改定、カスハラ対応マニュアルの作成、対外的な基本方針の策定など、法的に過不足のない形で整備することができます。
特に、正当なクレームとカスハラの線引きや、消費者の権利・障害者差別解消法との関係については、法的な判断が欠かせません。
第二に、個別のカスハラ事案に対して、法的根拠に基づいた適切な対応ができる点です。
悪質な顧客や取引先に対しては、弁護士名での警告書の送付や、弁護士が窓口となって交渉を引き受けることで、現場の従業員を矢面から外し、早期の沈静化を図ることができます。
業務妨害や脅迫など犯罪に該当し得る事案では、警察への相談や刑事告訴についても助言が可能です。
第三に、卸売業に特有の取引先とのトラブルにも対応できる点です。取引先からの不当な要求が、下請法(2026年1月施行の改正により「中小受託取引適正化法」に名称が変更されました)や独占禁止法上の優越的地位の濫用に該当する可能性がある場合など、労務の観点だけでなく企業法務の観点から総合的なアドバイスを受けることができます。
第四に、被害を受けた従業員との労務トラブルを未然に防止できる点です。
カスハラを原因とするメンタル不調や休職、労災申請、安全配慮義務違反を理由とする損害賠償請求などが生じた場合にも、使用者側の立場から適切な対応をサポートします。
7.当事務所のサポート内容
当事務所では、労務問題を多く取り扱う弁護士が、小売業・卸売業の企業様のカスハラ対策を総合的にサポートしております。
具体的には、2026年10月施行の改正法に対応した就業規則・ハラスメント防止規程の改定、カスハラ対応マニュアルや対外的な基本方針の作成、相談窓口の設置・運用に関する助言、外部相談窓口の受託、管理職・相談窓口担当者・現場従業員向けの研修の実施などを行っております。
また、実際にカスハラが発生した場合には、事実調査の進め方に関する助言、加害者である顧客・取引先への警告書の送付や交渉代理、出入り禁止措置や取引見直しの法的検討、刑事告訴や損害賠償請求などの法的措置の対応まで、一貫してサポートいたします。
被害を受けた従業員への対応や、休職・労災・損害賠償請求などの労務トラブルへの対応についても、あわせてご相談いただけます。
顧問契約をご締結いただいている企業様には、日常的に発生するクレーム対応について「これはカスハラに当たるのか」「どこまで応じるべきか」といったご相談に迅速にお答えし、現場の判断を法的にバックアップいたします。
従業員が安心して働ける職場をつくり、人材の定着と企業価値の向上につなげるためにも、カスハラ対策は重要です。小売業・卸売業におけるカスハラ対策についてお悩みの経営者・人事担当者の皆様は、お気軽に当事務所までご相談ください。
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Last Updated on 2026年10月19日 by loi_wp_admin



